カテゴリー「学問・書籍・雑誌」の記事

今の時代 卒論執筆はかなりラク

卒業の季節が近づいた。
この季節を迎えると、20年以上経っても、未だにあのことを思い出す。

卒論だ。 自分の専攻は国際政治で、卒論のテーマは 「米国大統領選挙に見るメディアの影響度」だった。 とにかく大変だった。 あくせく図書館へ通い、必要な文献を書き写したり、コピーしたり。 さらに大変だったのは、テーマの関係で、ほとんどの資料が英文であったことだ。 辞書を片手に、慣れない英語を必死になって解読していた。 提出日の前は、2日くらい徹夜で作業していたと思う。

だが今では、インターネットを使えば、図書館へは行かずとも、欲しい情報は瞬時のうちに手に入る。 その情報も豊富で、正確性も高かったりする。 また、インターネットブラウザから利用できる無料の翻訳サービスもある。 多少、ぎこちない訳もあるようだが、かなりの助けになることは確かである。

まさに至れり尽くせりだ。 全ての学生が、インターネットをフルに利用して、卒論を書いているとは思わないが、自分の時代に、こういうのがあれば、随分楽だったなと、現在、オバマ氏とクリントン氏が接戦を演じている米民主党大統領候補指名へ向けての戦いを見て思い出してしまった。

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橋本大二郎の「融通無碍」を読んで

橋本大二郎さんの最近著、「融通無碍(ゆうずうむげ)」を読んだ。

橋本大二郎と言えば、NHKのキャスターから転進し、現在四期目をつとめる、高知県知事で、全国の知事の中では抜群の知名度を誇る。

この本は、自分史的な位置づけで、生い立ちから、学生時代、NHK社会部記者生活を経て、高知県知事になってからこれまでのエピソードを中心に、話は進められている。

冒頭では、辞職勧告決議の話がドキュメンタリー的に続く。 これが知事生活の中での最大の汚点であっただけに、橋本さんの思いが非常に濃く表れている。

橋本知事が誕生したのが1991年。 ボランティアを中心とした草の根活動がつかんだ勝利だった。 この勝利は衝撃的だった。 これまで、停滞・閉塞していた高知県の政治、経済、文化、社会活動に、くさびを打ち込む画期的な出来事であった。
当選後の、橋本知事は、「高知を変える」という、県にとって有益な改革理念が、変革を望まない、自己保身を優先する議員達が構成する議会との度重なる衝突を生み、各種団体との軋轢等もあって、苦戦を強いられた。 しかし、橋本さんは、そんな状況にも改革の手を緩めることなく、自らの価値観と信念で改革を推し進めていった。

なかでも、人事諮問制度に関しては、民間レベルと言うか、一般常識的にいっても、あたりまえすぎるほどのことだが、橋本さんの前までは、どの知事も廃止の必要性を感じなかったようである。 そういう改革ほど難しいが、橋本知事の強力なリーダーシップのもと、廃止に至った。

その他、この本では、物議をかもし出した、官官接待の廃止、国籍条項の撤廃や、飲酒運転した職員の免職についても触れている。 これらのことを読んで、役所というのは、ここまで前近代的で保守的だったのかと感じた。 これらを提言し、即座に実行した、橋本知事の慧眼と行動力には敬意を表する。

橋本さんは、自分に正直で、言うべきことはきちんと言い、確固とした理念と斬新なアイデアを持って、率先垂範で行動する人なので、旧態依然とした人たちからは、煙たがられたり、距離を置かれたり、いやみを言われたり、非常に誤解を受けやすいタイプだと思う。 しかし、この本を読んで、意外と言っては失礼だが、どちらかと言うと、シャイで図々しさもなく、けっこう気配りができ、バランス感覚に優れた方なんだという印象を受けた。

自分は橋本さんを大いに評価している。 今、高知県に住んではいないが、県外から高知を見つめてみるとよくわかる。 オンラインで見聞きするニュースや新聞、そして、高知に住む知人などの情報をベースにしてではあるが、高知県のイメージは格段にアップしている。 情報発信の頻度が格段に上がっている点と、ニュースの内容が濃く、発展的である点だ。

自分が高知を離れて20年以上たつが、橋本知事が就任した1991年以来、帰省するたびに、高知が良い意味で変わっているのがよく分かる。 目に見えるハード面だけでなく、人心面でも、高知は変わってきていると言う印象を常に受ける。 橋本さんのような人が企業のトップに立ったら、会社も大きく変わるのではないかと強く思う。
高知県政のために尽力している橋本知事を、これからも応援していきたいと思う。

Yuzumuge

「融通無碍」の購入についての情報はこちら
http://www.iam-t.jp/noblesse/

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ゲーム理論について

「ゲーム理論」ということを最近よく耳にする。

「ゲーム」といっても、プレステやニンテンドーのTVゲームのことではない。
ゲームとは、単純な足し算、引き算ではなく、相手とのかけひき、頭脳プレーが要求される知的ゲームである。
ゲーム理論は、兵法に似ている。 いかにして相手を圧倒するか、損失を最小限に食い止めるか、戦わずして勝つか、など、兵法の中の、頭脳的プレイを、科学的に実証した理論である。

このゲーム理論、身近なところでも、このゲーム理論が発揮されたり、役立ったりする。
ビジネスでの競争や意思決定、家庭内での争議・トラブルの解決、株式売買などのギャンブルにおける活用、といった方面でも、ゲーム理論を知っているのと知らないのとでは、大きな違いが出る。
特に、国際外交の世界では、日常茶飯事といってもいいくらいに、このゲーム理論に基づいた交渉がおこなわれる。
最も、顕著な例は、キューバ危機である。
1962年に、旧ソ連が、キューバにミサイル基地を建設することに端を発し、米国ケネディ大統領も敢然と、全面戦争も念頭に入れた駆け引きを行った。 相手国の実力を分析・把握し、相手のあらゆる出方を先読みし、それらのケースごとにシミュレーションを行うことが、ゲーム理論の前提となる。 そして、最終的には、両国が武力で衝突することなく危機を回避できた。

日本人のメンタリティから言えば、ゲームイコール、遊び、不謹慎、稚拙、八百長などといったイメージが出来上がっているが、本来のゲーム(Game)はそういった意味ではない。
ゲームとは、ルールに従って演じられる、スキルおよび偶然性を伴った、闘争的活動、である。

だが、やはりゲーム理論を理解するのは難解だ。 ゲーム理論を学ぶためには、数学および論理学の知識は必須となってくる。 いくつかの書物をあたってみたが、最初は平易な解説でも、読み進めていくにつれ、確率・統計といった、自分がもっとも不得意とする分野へ話が及び、最後にはいつも投げ出してしまう。

こんな、自分でも最後まで読み通せ、非常に参考になった本がある。  今後、ゲーム理論を学んでみたい人のためにもおすすめの本である。

ゲーム理論トレーニング」  逢沢 明著 かんき出版Gamelogictrn

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「国家の品格」 を読んで

「国家の品格」という本を読んだ。

「論理」がすべてではない。 論理を追求してきた欧米諸国は社会的・精神的ひずみが生じている。 むしろ、「情緒」こそ強調され、武士道精神に立脚した美的感受性や日本的情緒。 これが日本の国家にとって必要なことである、といった趣旨で、「愛国心」ではなく「祖国愛」をアピールしている書である。

なかなか興味深く読ませてもらったが、当然すぎて、目新しい情報・主張は見出せなかった。 ただその中で、共感する事がいくつかあった。

教育に関する部分だ。

ひとつには、英語学習ではなく「国語」、日本語をしっかりと勉強してほしい、という主張である。 英語はコミュニケーションのための手段である、という前提にたって、いくらペラペラ英語をしゃべれても、内容が伴わなければ意味がない。 教養レベルの浅さをひけらかすようなものである。 これに関しては、大きくアグリーできる。 自分は、通訳ガイドとして就業した経歴があるが、彼らからのタフな質問を受けるたびに、自分の国、日本について知らなさすぎると反省したものだ。
またそれとは逆の意味になるが、外国人との会話の中で、聖書やマザーグースの引用を、彼らは頻繁に出す。 特に、会話内でのポイントまたはユーモア的な部分で。 でも、英語の意味はわかっても、その内容は理解できない。 これは英語力の問題ではなく、教養、知的レベルの問題だ。 英語よりまず国語、そして英語で話すにしても、内容がすべて、内容がない会話は、次回から相手にされないし、パーティーにも呼ばれない。

2つめは、小学校からパソコンを教える是非である。
そこには、早期教育が念頭にあり、「情報社会イコールパソコン」という、単純な図式しか考えられないような、日本の教育者のレベルもある。 この著書では、インドの例をあげている。 インドは、今、IT先進国として、有能なコンピューター技術者を数多く配している国である。 だが、貧国で途上国にあり、小学生の多くは、パソコンどころか、読み書きのノートブックも買えない状況なのだ。 こういう土壌で、優秀なソフトウェア技術者が輩出されるのは何故なのか? われわれもじっくり考えるべきだと思う。

3つめに、米国の小中学校では、株式投資を教えるそうである。 もちろん本物の株を買うわけではないが、机上で、売り買いのシミュレーションをし、最終的なパフォーマンスを競うとのことである。 「小学生達が、新聞の経済欄に目をとおすようになった」、「株価の欄も一生懸命見るようになった」  これらを、教育的効果として、アメリカでは喜んでいます。 どうなんでしょう。  自分が思うには、経済にしても株にしても、小学生というレベルでは、そのしくみだけを学ぶだけで十分なのではと考えます。

とにかく、この日本を少しでもよくしていくにはどうすればいいか。
日本の政治家の人たちにも少しは考えてもらいたいと思います。

この書籍の情報はこちらです。
  「国家の品格」 藤原正彦著  新潮新書

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日本人が持つ語学コンプレックス

今日、昨日に引き続いて、仕事の件で、英国と電話会議をした。

プロジェクトの進捗具合の確認と今後のアクションを話し合ったが、どうもうまくいかない。
うまくいかないというのは、こちらのニーズ、要求を、相手にうまく理解、説得しきれないことだ。
やはり、最大の要因は、言語の壁。
当然のことながら、相手とは英語でコミュニケートするわけだが、こちらの語学力不足が大きく影響を与えるせいか、 もっとスムースに、英語が口をついて出てくればと思うことしかりだ。 英会話学校へ行こうかと、電話会議のたびに思う。

まあ、外国人との交渉事では、語学力以外のファクターもあるが、それについては、またの機会に書くとして、言語的な面に関して言えば、欧米人の語学に対する寛容性は、立派だと思う。 こちらが、たどたどしい英語で話していても、必ず話し終わるのを待って、彼らは応答する。 「変な英語を話す日本人」と、心の中では思っているのかもしれないが、そんなことは表にも出さず、紳士・淑女的に対応する。 これは、われわれ日本人も参考にしなければいけないと思う。

日本では、テレビCMに特に多いのだが、外国人が日本語をたどたどしく話すシーンや音声をフィーチャーしたものがなんとも多い。 日本ではそういうCMが受ける。 また、低脳なバラエティ番組では、それを素材にして、出演者たちがバカ受けするのが放送される。 米国で少なくとも、こういったたぐいのCM、TV番組がオンエアされると、「人種差別」と判断される。
はっきり言って、これこそ日本人が持つ、特有の「語学コンプレックス/ガイジンコンプレックス」の固まりである。
自分たち日本人は、英語をうまく話せない。 ガイジンのお前らは、日本語をうまく話せるのか? そのつたないしゃべり方はなんだ。 ハハハ!
こんなシンドロームで毒されている日本人が悲しく思える。

話がそれてしまったが、第2外国語として学ぶ語学の最良の上達方法は、自分にあった勉強方法を見つけることであると自分は考える。

もし、これから英語力をブラッシュアップしたいという人がいれば、「使える英語の学び方」アルク社刊、をおすすめします。

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この本は、各分野で活躍する50人の英語の達人が、自らの勉強方法を伝授している貴重な内容です。
実は、ブログオーサーの私も、この50人の達人の一人として、自らの経験談を語っています。

ぜひご一読を。

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