フル初チャレンジ! 高知マラソン大会 エピローグ
「フル初チャレンジ!高知マラソン大会 その6(最終回)」 より続く。
先日、高知マラソン大会の事務局より、公式記録である総合順位表と、大会関係の報道が掲載された高知新聞のコピーが送られてきた。 レースから随分と日にちがたっているが、時間がかかったのは、記録がランナーズチップではなく、手動の計測であったからかなと思う。 自分の記憶からこの大会のことはわずかに遠のき気味であったが、送付されてきたものを見ると、大会当日の事が瞬時に脳裏によみがえってくる。
自分の記録を見る。 35K地点で関門タイムオーバーとなっている。 そこまでの5Kごとのラップは自身のウォッチで計時したのとほとんど同じ記録である。 20Kまではほぼ自分の設定通りのペースだった。 35Kの関門でタイムオーバーだったので、大会記録上はその手前の30K地点までだと思っていたが、35K関門までの記録が掲載されている。 関門閉鎖時間から遅れること13秒、あと70mほど先であった。 20K以降の5Kラップは目もあてられないタイムである。
あらためて考える。
なぜ、自分はあそこまで痛みをこらえてまで走ったのだろうか?
そのまま走り続けることで、故障部位へのダメージのさらなる悪化は、自分でもよくわかっていた。 駅伝なら、そういった状況でも、足が折れてでもタスキをつながねば、という気持で無理せざるを得なかったかもしれないが、今回は個人レースであった。 レースをやめようと思えばいつでも自分の意思でできた。
2つ理由があった。
ひとつは、 県内の知人に、「高知マラソン走るから応援よろしくね!」 的なノリでアナウンスしていた。 実際、走りながら、まだあいつの姿が見えないな、とか考えつつ走っていたので、もし復路で応援のために待ってくれているとしたら申し訳ないという思いで走っていた。
ふたつめは、過去どんなレースでも棄権はなかった。 駅伝で区間最下位となった時があったが、それでも、半分歩きながら、中継所までたどり着いた。 やはり、途中で投げ出すのは何があってもイヤだ。 走りきりたい。
この時のダメージは、3週間たった今でも尾を引いている。 リハビリ的な運動と平行しているが、最初からペースを上げた場合、もう5Kの距離で痛みが出てしまう。 これまで、日々の練習で、この腸脛靱帯を傷めてしまった時は、一週間もあれば、痛みも完全になくなり、距離はこなせないが普通に練習できる状態であったのだが。
幸いなことに、自分にとっての今ロードシーズンは終わっている。 夏のトラックレースまでまだ間があるので、無理をせずじっくりと治していきたいと思う。そして、その先の視野には、もちろん、高知マラソンへのリトライである。
第63回高知マラソン大会結果(1/2)
「63_1.pdf」をダウンロード
第63回高知マラソン大会結果(2/2)
「63_2.pdf」をダウンロード
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